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早稲田大学 文化構想学部 合格 by A.Nさん

難関受験塾Cria.01
合格大学学部学科
早稲田大学文化構想学部
明治大学文学部日本文化学科
武蔵野美術大学造形構想学部映像学科
武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科

「大学受験、独学するしかない。」

一般的な学校や塾の受験指導が大の苦手な私は逃げるようにそう決めて、独学が得意だから大丈夫だと自分自身に言い聞かせ、言い聞かされながら受験勉強をひたすらにしていました。

確かにそのまま独学でやり通しても受かった気がします。でも「なんだか、もう少し深く理解したいというか、学んで考えたことを先生のような存在?にシェアしたらもっとよさそうな気がして、」という曖昧なぼやきを胸中に微かに認めはじめた夏、かねてより聞いていた友人の塾の話をまたその日も聞いていると、なんだかうらやましくなってきました。難しそうな課題に四苦八苦した後、先生の解説をキラキラ(ギラギラ?)した目で聞いている友人が。

そうとなったら行動は早いほうがいいので、即日面談を予約して、面談して、入塾を決めました。そして入塾後、Cria.には半年間、古典のマンツーマン授業と現代文の授業動画の二つを受講しました。

毎週の古典の授業はとても楽しく刺激的でした。
古典の授業形態は、先生が用意した過去問をまるで私が授業をするように説明しながらその場で解いていき、最後に先生に修正してもらうというものでした。(このやりかたは私が個人的にお願いしたもので、もしあなたが自分なりの授業方法を提案したら、先生はきっと快く受け入れてくれるはずです。)躊躇せずに感じたまま喋り倒した私は、的外れな解釈もたくさん言いました。
一方で、時には鋭いことも言えた気がしたり、その頻度が高まるほど自信もついたりしました。
「やっぱ前より古典できるようになりましたよね!?」
「うんそう思いますよ」
なんて先生との会話を思い出します。

それでも、やはり、分からない時は分からない。歯が立たない。学問、いや古典に限ってもこの世界の果てしなさたるや、全て知るにはあまりにも人生が短かすぎると嘆きながらも、口許はニヤついている。厭世的な私は心が救われていたんです。生きがいになりうる光をそこに見つけていましたから。

小学4年生の国語の教科書に『動いて、考えて、また動く』(高野進)という文章が載っていたのをよく覚えています。

陸上選手だった著者が、自身の経験を踏まえて行動と反省を幾度も繰り返すことが上達の鍵だと幼い私に教えてくれました。
学力というのは教科内容の理解度のみではありません。机を離れた生活はもっと動的なものです。周りの人との関わり合いの中、褒められ叱られ、絶好調の数日後に体調を崩し、好きな人ができたり失恋したりと、流れるようにさまざまなことが起こりますよね。ですが、その合間に机に向かい(必ずしも机で勉強しなくていいですが)、本を開くと、先人たちの文章が静かな威厳を放ってそこで待っていたのに気づきます。私たちがいつの間にか過ぎ去るままにしてしまっている瞬間瞬間を、彼らはグッと掴んで、離すどころか理論や表現を駆使して拡張した暁には、文字にまで残して時間の概念を取り払ってくれます。今度はその文章を読む私たちが、各々の日常に照らし合わせて自分の感覚に理論的支柱を組み合わせる。つまり「考える」んです。そしてまた「動く」とき=日常生活に戻ったときには景色が違って見えてきます。

私の場合は、「考える」段階においてCria.の先生にとても助けてもらいました。私の、最近こういうことがあってこう感じたんだという話を一歩上のレベルに言語化しなおしてくださりました。例えば、「あーその考え方は現象学っぽいね」という感じで時に固有名詞も散りばめられていたので次への勉強に繋がりやすかったですし、それを聞いてるうちに教養レベルが自ずと上がっていきました。ちなみにですが、これの全く逆のことを現代文の授業でなさっています。難しい内容を身近なものに置き換えて説明していく授業はとてもわかりやすく面白かったです。

「大学受験、独学するしかない。」、その決意の一生は逃避から始まり、自負心に育てられ、迷える青春時代にCria.の先生に棘を抜いてもらってるうちにいつのまにか消えていました。

Cria.では、大学受験対策に終始せず、大学0年生のような形で大学でのより深い学びに対して心を開き意欲的になれるような生徒が育ちます。

だからこそ、ここまでの合格体験記が合格ロードの紹介というよりも、もう少し広く学びについて綴った性格になってしまったのでしょうね。

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